創業
古荘精神の原点、ここにあり
創業者古荘健二は1877年(明治10年)、西南戦争で荒廃し、着るものが不足していた熊本市民に衣類を供給するために京都から古着を仕入れてきて販売することから商売を立ち上げた。「情を尽くして理に従う」をモットーに着実に事業を拡大し、京都、大阪、そしてフィリピンのマニラに拠点を構えるまでになった。
古荘健次が作り上げた「店員心得法十カ条」は、「一、骨惜しみをするな 二、遊びにふけるな 三、労を人に譲るな 四、功を誇ったり、他人の功を横取りするな 五、無駄使いをするな 六、不平を言うな 七、給料が少ないと言うな 八、ハデなことをするな 九、生意気を言うな 十、いばったり、おこったりするな」という厳格な前垂精神を反映したものであり、古荘精神の基礎となった。
二代目 古荘健次郎の時代
従業員1万人の地方財閥に。
大正15年、古荘健次郎が2代目社長に就任。当時36歳であった。「仕事は人の器の大きさで決まる」と考えていた健次郎は思い切った人材導入を行い、その人材を適材適所に配置し、事業拡大を図った結果、最盛期には直接傘下の企業だけで約三十社、その従業員は海外を含めて約1万人に及んだ。
その主な企業は、古荘株式会社、古荘土地株式会社、古荘航空工業株式会社、株式会社古荘被服工業所、古荘商店(京都)、金貨メリヤス(大阪)、肥後無尽株式会社(後の肥後相互銀行)、株式会社銀丁呉服部、トキハ(大分)、代陽百貨店、繊維製品配給株式会社、九州産交、丸荘株式会社、城北航機株式会社(鹿本町来民)、熊本・鹿児島・宮崎の各県自動車配給株式会社、熊本車体製作株式会社、大阿蘇交通株式会社、株式会社矢答荘、和順染色工廠(青島)、フィリピン金貨メリヤス(マニラ)、東洋工興株式会社(マニラ)、株式会社明治屋(鹿児島)などである。
また、関係会社は井筒屋百貨店(小倉)、千徳、白木屋(東京)、三星(名古屋)、興国人絹パルプ(東京)、九州配電(福岡)、三陽航機、肥後銀行、日清生命(東京)、鋼板工業(川崎)、太平貿易など、国内や海外合わせて五十社近い企業群となった。
原点回帰
地域と共に復興へ。
昭和16年、国の経済統制の影響で業務を縮小する最中、創業者古荘健二が八十四歳で死去。敗戦後の昭和21年、商工会議所会頭として、ガレキの町の整理、商工業界の建て直しに奔走した健次郎は急速に健康を害して床に臥す。連合国総司令部により、グループ各社が没収・解体に合う中で、昭和23年、健次郎57歳で没す。
三代目社長に健次郎の妻である古荘ハマが就任し、新生古荘本店株式会社を設立。古荘直系の熊本日産、熊本車体も相次いで設立、大分市のトキハも再興した。その後、戦後の経済民主化、鶴屋、太洋の大型デパート時代などを迎え、昭和28年、5年間社長を勤めた古荘ハマが社長を退き、代わってハマの実弟で熊本日産専務だった金沢大四郎が四代目社長に就任した。
金澤新社長は、関東、関西からの仕入ルートの強化と南九州を中心とした販売面の開拓に力を注ぎ、得意先の回復を図った結果、繊維事業は大幅に伸びた。同時に、従来の呉服中心だった業務内容を多様化し、和装、リビング、子供、紳士、婦人、肌着等の取り扱いを強化し、現在の繊維総合卸事業の業態の基盤を作った。
しんらい・みらい・あたらしい
これまでに培った信頼を基盤に、未来を見据えて、ここに新たな挑戦の時代を迎える。
昭和60年、五代目社長に古荘善啓が就任。善啓は営業エリアの拡大と事業の拡大を積極的に進め、現在の地方商社としての古荘本店の礎を築いた。
平成4年 福岡店オープン、平成5年 直営アパレルショップ1号店出店、平成6年 ドコモショップオープン、平成11年 鹿児島店オープン(平成22年クローズ)、平成15年 富士ゼロックス販売特約店として富士ゼロックス機器販売開始、平成17年 東芝ビジネスパートナーとして東芝エレベータ及び東芝空調・照明販売開始等。
そして現在、株式会社古荘本店は本業である繊維総合卸事業に加えて、アパレルメーカーとしての自社ブランド製品の製造・販売事業、直営店舗28店舗を構えてのアパレルショップ事業、富士ゼロックスや理想科学のドキュメント機器の販売を中心としたIT事業、東芝エレベータ、東芝空調・照明及びくろがね工作所製品販売を中心としたファシリティ事業、そしてドコモショップ4店舗の運営に加えて法人向けに携帯電話を核としたモバイルシステムを販売するドコモ事業等を柱にしながら、グループ会社である熊本日産グループ、古荘土地株式会社との連携を強化しつつ、業務の拡大を図っている。
熊本地震
平成28年(2016) 4月 熊本を襲った震度7の地震。本社屋および物流倉庫が被災
2016年4月14日21時26分、熊本県熊本地方でマグニチュード6.5の地震(前震)が発生。その28時間後の4月16日1時25分には、同じく熊本県熊本地方を震央とする地震(本震)が発生し、西原村と益城町で震度7を観測。
その「熊本地震」にて、本社屋中央部分の37年館(物流倉庫)および45年館(衣料品売場)が被災した。
社屋が半壊し、物流・現場の機能がストップし対応に迫られたが、関連各所の協力を経て、早急な社屋の立て直しへと舵を切ることととなる。同年7月には解体工事に入り、9月上旬には同工事を完了、9月末から建設に着手した。
新本社屋では、旧館(37年館、45年館)と同等規模で鉄骨造り4階建て、外観はアルミ外材とガルバカラー剛板を交互に配した幾何学的なデザインとしたまったく新しい古荘本店の社屋とし、翌年2017年4月24日には創業140周年および新社屋完成式典を行い、同年、六代目社長に古荘貴敏が就任する。
これからの100年へ
「みらい」を見据えて「あたらしい」ことにチャレンジし続ける
『感動共創』を経営理念として掲げ、「夢年表Road to 150th」を策定。
「ウィズコロナ時代を見据えた企業変革の遂行」をテーマとした第一次中期経営計画、「新人事制度定着+適正利益の壁突破」をテーマとした第二次中期経営計画、「『入社したい会社』『働き続けたい会社』『子供を入社させたい会社』への総仕上げ」をテーマとした第三次中期経営計画を立て、売上73億円。社員数287名。直営店舗数36を目指す。
古荘本店はこれからの100年を見据えて「しんらい」「みらい」「あたらしい」というキャッチコピーが示す通り、長年培ってきた「しんらい」を基盤としながら、「みらい」を見据えて「あたらしい」ことにチャレンジし続けます。